ウマ娘プリティーダービー、楽しんでいますか?
個性豊かなキャラクター達が集まっている『ウマ娘プリティーダービー』。
でも競走馬の世界にはまだまだたくさんの個性や人気を集めた、ウマ娘化されてもおかしくない競走馬がたくさんいます。
今回は「今後ウマ娘化されそうな競走馬」を取り上げてみようと思います。
個人的な要望が多いけど、結構自信あるよ!
今後ウマ娘化されそうな競走馬を大予想、の前に…
ウマ娘化されていないキャラクターの中には、1部のオーナーの許可が取れておらずにウマ娘化できなかったキャラクターがいると噂されています。
調べれば色々出てくると思うのでぶっちゃけて書きますと、『ディープインパクト』や『クロフネ』の馬主さん(一応名前は伏せます)、ステイゴールドやオルフェーヴルなどを生産及びクラブ法人として管理した『社台グループ』の競走馬はウマ娘の世界には登場してもおかしくないはずですが登場していません。
むしろ初期の段階ではイラストが用意されていた形跡があるよね
なので今回はそういった一部の馬主やクラブ法人などを排除して予想を立てていきたいと思います。
予約開始をしたウマ娘のフィギュアについてまとめました。
売り切れ、高騰必至のため欲しい方はお早めに!!
グリグリ◎の大本命!個人的にも大好きな2頭の競走馬!
登場しているウマ娘との関係や競馬界に残したインパクトの強さ、また世間での人気などを考慮した上に私見をバリバリに入れました。(笑)
もちろんウマ娘化されてもおかしくないだけの根拠はありますが、どちらかというとウマ娘から競馬に興味を持った方に知ってもらいたいという要素の方が大きいかもしれません!
2頭ともすごくファンに愛された競走馬だったんだよ!
ホクトベガ
ホクトベガは1990年誕生の牝馬。
同期にはBNWことビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケット、牝馬路線ではユキノビジンと争った。
牝馬クラシックでは同じ「一等星」の名前を持つ『 ベガ 』がおり桜花賞・オークスと惜敗するも、当時の牝馬クラシック最終戦では9番人気と人気薄優勝し、ベガの牝馬3冠を阻止した。
ベガはベガでもホクトベガ!は 馬場鉄志 アナウンサーの名フレーズだね
4歳時はGⅡ 札幌記念 を勝つものの、当時は現在とは違い古馬牝馬路線というものがなく、牡馬を相手に好走はするもののなかなか勝ちきれずにいた。
GⅠホースということで負担重量が重くなり苦戦が続き、一時は障害競走への転向を視野に飛越調教が行われるほどであった。
転機は5歳になった6月、この年から地方競馬と中央競馬の交流競走が始まったのをきっかけに、地方の川崎競馬場で行われたダート戦、エンプレス杯に出走したことである。
初めてのナイター競走、田んぼのようなドロドロの不良馬場、「中央の馬に負けるわけにはいかない」と意気込む地方の強豪馬、ホクトベガにとって生易しい条件ではないのだが…
蓋を開けてみると18馬身差、秒数にして3.6秒差の圧勝。
後に彼女が『砂の女王』と呼ばれる伝説の始まりだった。
その後は芝路線に戻るも6歳になってからは完全にダート路線に変更。
無敵の交流重賞10連勝、しかもどのレースも圧勝という走りっぷり。
これには思わず「お嬢様とお呼び!」と実況されてしまうほどであった。
7歳になったホクトベガはダートの世界No.1を決める『ドバイワールドカップ』に招待される。
年齢のこともありこのレースを引退レースと決めドバイ・ナドアルシバ競馬場に向かうのだが…
当時は現在とは違い海外遠征のノウハウなどもあまりなく、輸送も直行便などではなく何度も乗り継ぎを重ねた結果、体重を20kg以上も落とした上に『裂蹄』と呼ばれる蹄が割れる病気にも悩まされた。
しかしレース当日は数十年に一度と言われる程の猛烈なスコールに見舞われたため、1週間の延期に。
関係者の懸命な努力もありなんとかレースで勝ち負けが出来る程度に体調を整えることができた。
1997年4月3日、世界No.1を決めるドバイワールドカップの火蓋が切られた。
結果は『予後不良』。
ホクトベガは最終コーナーで他馬と接触し転倒、そこに後続馬から追突されたことにより複雑骨折をし予後不良と診断され安楽死の処置が行われた。
ホクトベガがファンから愛されたのは圧倒的に強かったからだけではない。
当時はバブル崩壊の影響もあり地方競馬は経営難であったが、ホクトベガが出走する地方競馬場はどこも入場者レコードを更新するほど観客が押し寄せた。
レースによってはスタンドに観客が入りきらず、競馬場の外で応援をするファンがいたほどである。
また7歳になっても走り続けたことも人気の要因にあると思う。
当時は現在ほど牝馬路線は整備されておらず古馬になると牡馬と一緒に走ることに、その結果3歳のクラシック戦が終わると繁殖に上がる牝馬がほとんどという中、時には牡馬と混じり、時には地方のダート猛者たちと激闘を繰り広げた。
500kg近い牡馬にも見劣りしない雄大な馬体、生まれつきスパイクを履いたような深い蹄、しかし彼女を管理した中野隆良調教師は言った。
「彼女はモナリザ・強さの秘密は永遠です」
今でも本当に多くのファンから愛されているホクトベガ、ウマ娘に登場して欲しいと願うファンも多いと思うよ!
ウマ娘ではまだ少ないダートの競走馬。(中距離馬ではあるがマイルの重賞もいくつも勝ってる)
人気の1993年クラシック世代でユキノビジンと絡ませられること。
同厩舎の1年後輩、ヒシアマゾンとは仲良しだったこと。
あとは何よりも人気の高さ。
これらを理由にウマ娘化されてもおかしくないと思っています!
ホクトベガがウマ娘化されるとどんなキャラクターになるんだろう…(ニヤニヤ)
ナリタトップロード
ナリタトップロードは1996年誕生の牡馬。
クラシック戦では『世紀末覇王』ことテイエムオペラオー、父サンデーサイレンス・母は2冠牝馬ベガの仔アドマイヤベガと激闘を繰り広げた。
クラシック戦では皐月賞をテイエムオペラオーに、1番人気で迎えた日本ダービーは残り50mでアドマイヤベガに差し切られ春は無冠に。
しかし菊花賞では最終コーナーを抜けると先頭に立ち、テイエムオペラオーの猛追を振り切り菊花賞制覇、春の無念を晴らした。
続く有馬記念では4番人気に推されたが、スペシャルウィークとグラスワンダーの競り合いの中7着と勝負に加わることができなかった。
翌年、4歳となったナリタトップロードはスペシャルウィークの引退、またアドマイヤベガが怪我により引退したこともあり、テイエムオペラオーとの一騎打ちの様相を呈していた。
しかしこの年は1勝もできなかった。
ライバルのテイエムオペラオーが古馬中長距離の完全制覇、8戦8勝のうちGⅠ5勝という史上初にして現在も史上唯一の記録を打ち立てた。
ナリタトップロードは7戦走ったがそのうちの6戦でテイエムオペラオーに1着を許し、しかもライバルの座をメイショウドトウに取られていた。
5歳になって2戦目、GⅡ阪神大賞典では久しぶりの勝利を世界レコードで圧勝しテイエムオペラオーへの雪辱に期待を膨らませたが…
しかし天皇賞(春)ではテイエムオペラオー、メイショウドトウに交わされ前年の天正賞(春)から2年連続の3着に。
さらに秋の京都大賞典では最終直線のもっともスピードが乗ったところでステイゴールドが斜行し、馬体が接触して鞍上の渡辺薫彦騎手が落馬するなど不運にも見舞われた。
この年も善戦こそするものの、結局6戦し阪神大賞典の1勝に終わった。
6歳になるとライバル関係であったテイエムオペラオー、メイショウドトウが共に引退したが現役を続行。
初戦の京都記念では60kgの斤量を背負うも勝利、続く阪神大賞典でも2001年のダービー馬 ジャングルポケット を破り2連勝。
「ついにナリタトップロードの時代が来たか!」と思ったのも束の間、天皇賞(春)ではマンハッタンカフェを交わせずに3着、ここに天皇賞(春)3年連続3着という珍記録を樹立してしまう。
有馬記念3年連続3着のナイスネイチャの後継者が誕生した瞬間であった…(笑)
秋は京都大賞典を制し天皇賞(秋)へ。
マンハッタンカフェもジャングルポケットもいないため大きなチャンスではあったが、東京競馬場が改修工事のために苦手な中山競馬場で開催されたこともあり2着に。
続くジャパンカップも中山競馬場開催が影響したこともあり10着惨敗という結果。
引退レースを香港で予定していたが、ファン投票1位ということで有馬記念に出走、苦手な雨のレースになったが4着と健闘し、大きな拍手で迎えられながら競走生活を終えた。
この年どころか菊花賞以来GⅠ勝利のない馬がファン投票1位、どれだけ愛されていたか分かっていただけると思います!
キラキラと輝く美しい栗毛に筋骨隆々の馬体、さらにイケメン顔。
パドックまでは完璧なのにレースでは勝てない。
競馬界史上最強馬クラスのライバル。
しかしそのライバルの座も奪われる。
天皇賞(春)3年連続3着。
地味な調教師と爽やかな若手主戦騎手の師弟愛。
挙げればキリがないが愛される要素が満載の競走馬だった。
1完歩が大きい「大跳び」の馬で長くいい脚が使えたのが特徴ではあるが、逆を言えばトップスピードまでに時間が掛かること、また小回りの競馬場と渋った馬場を苦手とした。
持ち味を発揮できる東京競馬場が改修工事のため小回りの中山競馬場開催となったり、とにかくレース前に雨が降ることが多かったりと不運も多かった。
ライバルのテイエムオペラオー・メイショウドトウ引退後は、自身を含めたこの世代の強さを証明するかの様に下の世代、とくに2つ下のジャングルポケットやマンハッタンカフェ達の世代の壁として走り続けたことも人気の要因ではないだろうか。
ほんとーーーに大好きな競走馬でした!!
2022年2月、SSRサポートカードとして実装されました!!
自信の対抗○ウマ娘化の条件バッチリの11頭の競走馬!
ちょっと本命の2頭に熱くなりすぎたのでここからは簡潔に…(笑)
ニホンピロウイナー
1980年誕生の牡馬。
通算戦績26戦16勝 主な勝ち鞍:安田記念 マイルチャンピオンシップ
マイルGⅠを3勝し、マイル戦においては1つ下の3冠馬シンボリルドルフですら勝てないと言わしめた「マイルの皇帝」。
当時は8大競走と呼ばれる中長距離路線こそが絶対であったが、距離適性を考慮し早々に諦めると短距離路線を歩んだ。
この馬の活躍こそがその後のさらなる短距離路線の整備、短距離馬の活躍へと広がった。
種牡馬としても非常に優秀で、年間種付け頭数を60頭としながらもヤマニンゼファーやフラワーパークなどのGⅠ馬を輩出、父系としてもなんとか血が繋がっているのでなんとか頑張って欲しいところだ。
当時はマイル路線こそ整備されつつあったけどスプリント路線のGⅠはなく、「1400mがベスト」と言われたニホンピロウイナーは現在に転生するとGⅠをいくつ勝つんだろうねぇ(笑)
メジロラモーヌ
1983年誕生の牝馬。
通算戦績12戦9勝 主な勝ち鞍:牝馬3冠
史上初の牝馬3冠を達成、しかもトライアルレース全勝のおまけ付き。
「華のあるうちに引退させる」との馬主の意向もあり3歳の有馬記念を引退レースとしたが不利もあり9着と実力を出しきれずに引退となった。
1999年に行われたアンケートで主戦騎手だった河内洋騎手はニホンピロウイナー、オグリキャップなどの騎乗馬を差し置いてメジロラモーヌが過去の騎乗馬で最も強いと評価し、「牡馬よりも強かったことを証明したかった」と述べた。
シンボリルドルフとの3冠馬同士の配合「10冠ベイビー」ことメジロリベーラが1戦0勝で引退など繁殖牝馬としては目立った成績は残せなかったが、そのメジロリベーラの仔フィールドルージュが川崎記念を制覇、ひ孫のグローリーヴェイズが香港ヴァーズを勝つなど牝系として名を残している。
黒光りする綺麗な青鹿毛、実力も証明済み、こんなに美しくて強い競走馬は2度と出ないんじゃないかと評価する関係者もいるほどだよ!
ダイイチルビー
1987年誕生の牝馬。
通算戦績18戦6勝 主な勝ち鞍:安田記念 スプリンターズS
祖母のイットー、母のハギノトップレディの一族は「華麗なる一族」と呼ばれた名牝の系列、父トウショウボーイは『天馬』と評され、3冠馬ミスターシービーを輩出するなど当時の父内国産種牡馬のエース。
内国産の1流血統で期待は大きかったものの生まれつきの蹄の奇形から無理をせず、デビューは3歳の2月末と遅れた。
デビューを圧勝し適距離の桜花賞を目指すものの1ヶ月足らずしかなく、出走予定のトライアルレースと桜花賞を除外されてしまう不運にも見舞われ3歳時は2勝にとどまった。
4歳からは短距離路線に絞り、安田記念、スプリンターズSを勝つなど名牝の血統を証明した。
ダイイチルビーのライバルの1頭であるダイタクヘリオスとはファンの間で恋愛関係にあるのではないのかと囁かれ、当時の人気競馬漫画の『馬なり1ハロン劇場』でも取り上げられた。
よしだみほさんの『馬なり1ハロン劇場』を知らない競馬ファンは「もぐり」と言われる程で、競走馬の擬人化の元祖とも呼べる漫画だよ!
ノースフライト
1990年誕生の牝馬。
通算戦績11戦8勝 主な勝ち鞍:安田記念 マイルチャンピオンシップ
体質が弱くデビューした頃には桜花賞は終わっており春のクラシックとは無縁であったが、
秋には 格上挑戦 した古馬牝馬レースの 府中牝馬ステークス で軽ハンデを活かして重賞初制覇。
続くエリザベス女王杯は明らかに距離が長かったもののホクトベガに次ぐ2着。
3歳最終戦の 阪神牝馬特別 (当時2000m)を勝利すると4歳からはマイル路線1本に標準を定めた。
前年に国際競争になった安田記念では「ジャパンカップにも見劣りしない」といわれる海外勢や電撃のスプリント王サクラバクシンオーらを相手にスタートで出遅れるも最終直線では切れ味抜群の末脚を見せると2馬身半差の圧勝でGⅠを初制覇。
秋には引退レースとしてマイルチャンピオンシップを選択、サクラバクシンオーやビコーペガサスらを相手に力でねじ伏せるかのごとく横綱相撲で有終の美を飾るとともに牝馬初の春秋マイル制覇となった。
競走期間が短いものの『マイルの女王』と呼ばれ、競馬史上最強とも呼び声高いスプリントの絶対王者サクラバクシンオーを相手に2勝1敗と勝ち越し、サクラバクシンオーの管理調教師ですら「あの馬が完調ならバクシンオーが得意の1200mですら勝てたかどうか」といわれるほどの評価を受けた。
担当の厩務員が当時珍しかった女性でその厩務員に「フーちゃん」と呼ばれていたこともあり、ファンにも「フーちゃん」の愛称で親しまれたよ!
サクラローレル
1991年誕生の牡馬。
通算戦績22戦9勝 主な勝ち鞍:天皇賞(春) 有馬記念
生まれつきの脚部不安に加え、4歳時に重賞制覇しいよいよGⅠへというところで競走能力喪失に等しい大怪我をする。
引退、最悪安楽死の処置がとられてもおかしくない故障であったが関係者の懸命の治療により1年1ヶ月後の中山記念を勝利で復活。
天皇賞(春)ではシャドーロールの怪物ナリタブライアンを交わして初GⅠの座に。
その後はマヤノトップガン・マーベラスサンデーと3強と呼ばれる中、有馬記念を制覇し年度代表馬に。
その後は凱旋門賞制覇を目指し、現地の前哨戦フォア賞に出走するもの故障、そのまま引退となった。
故障直後に現地スタッフが「競走馬としてはもうだめだから薬殺してもいいか」と尋ねられ意気消沈しているスタッフがうなだれるように頷きかけたところ、フランス語が分かる他のスタッフが「馬鹿野郎!ローレスを殺す気か!!」と怒鳴りつけたため薬殺を免れたエピソードが知られている。
GⅠを2勝しているし実力は証明済みなんだけど、それでも怪我に泣かされて本当の実力が出せなかったって印象だなぁ
サニーブライアン
1994年誕生の牡馬。
通算戦績10戦4勝 主な勝ち鞍:皐月賞 日本ダービー
2歳10月のデビュー戦で勝利を収めるもののその後はなかなか勝ちきれず、太りやす体質をレースで調整していたこともあり皐月賞前の戦績は8戦2勝、重賞勝ちもなく皐月賞直前の若葉ステークスでは生涯最初で最後の1番人気の期待に応えられずに4着と負けていた。
皐月賞でも11番人気という低評価を受けるが、逆に相手にマークされなかったこともあり3コーナーで先頭に立つと4コーナーも内ラチいっぱいに綺麗に回ると後続とは5馬身程の差ができていた。
ゴール前ではクビ差まで迫られるものの皐月賞を制覇、しかしこの勝利は完全にフロックと評価された。
レース直後、騎乗技術は高いものの口下手なこともあり騎乗数を減らし続け「忘れられた騎手」とまで報じられ、皐月賞制覇が初GⅠ勝利となった主戦騎手の大西直宏騎手は「この馬は強い、ダービーも逃げて勝つ」と繰り返した。
ダービーでの人気は7番人気。(競走除外になった馬がいたため最終人気は6番人気)
ファンは皐月賞での勝利をフロックと見ていた。
ゲートが開くと大外枠のサニーブライアンは強引にハナに立つとそれを見た同じ逃げ馬のサイレンススズカは控えた。
大西騎手がなんども繰り返した「逃げ宣言」を間に受け、共倒れになることを嫌って控えたもののサイレンススズカが競りかけた場合は控えるように指示を受けていた。
レース前から蒔いた種が実り、警戒していたサイレンススズカに自分の競馬をさせずにサニーブライアンのペースでレースは進んだ。
最終コーナーを周り馬群を引き付けるだけ引きつけてからゴーサインを出すと後続との差を一気に広げた。
ゴール前では後の有馬記念馬シルクジャスティスが猛追してくるものの時すでに遅し。
フロック視された皐月賞後に大西騎手がなんども繰り返した「この馬は強い」を他の騎手は完全に浮かれていると判断し、有力馬同士で互いにマークし合った結果仕掛けが遅くなってしまった。
大西騎手の策略と好騎乗、それに応えられるサニーブライアンの折り合いの良さとバテないスタミナ。
シルクジャスティスをはじめ、後の菊花賞馬マチカネフクキタル、後の天皇賞馬メジロブライト、後の宝塚記念馬サイレンススズカなど相手に完全にレースを支配したサニーブライアン陣営に実況も「これはもう、フロックでも、何でもない!2冠達成!」と叫ぶしかなかった。
その後は当然3冠を目指し休養に入るも放牧中に骨折、菊花賞出走が叶わなかった。
骨折が癒え、復帰に向けて調教を再開すると競走馬の不治の病とも言える屈腱炎を発症、引退となった。
ダービー後のインタビューで語った「1番人気はいらない、1着が欲しかった」はダービー史に残る名言だねぇ…
キョウエイマーチ
1994年誕生の牝馬。
通算戦績28戦8勝 主な勝ち鞍:桜花賞
生まれつき「骨端症」という脚部不安がある中、牧場スタッフの懸命な治療でデビューを迎えるとデビュー戦を圧勝。
クラシックではライバルのメジロドーベルを相手に桜花賞制覇。
オークス、秋華賞は距離が長くメジロドーベルに負けるものの、 ローズステークス ではNHKマイルカップの覇者シーキングザパールを相手に逃げ切り勝ちするなど短距離での才能を見せた。
クラシック戦線以降は短距離路線に絞ると超強力な牡馬達が集まったマイルチャンピオンシップでは半マイルを44秒という超ハイペースで飛ばすとサイレンススズカやヒシアケボノらはラストスパートする脚が残っておらず、タイキシャトルにこそ交わされたものの驚異の粘りで2着と負けてなお強しのレースを見せた。
それ以降も牝馬としては珍しく6歳まで走り、GⅢを2勝するなど息の長い活躍を見せた。
繁殖牝馬としては4頭しか残せなかったが皐月賞2着のトライアンフマーチや中央で5勝上げたインペリアルマーチなどなかなかの成績を残した。
初仔で唯一の牝馬のヴィートマルシェから米国競馬最高峰レースの BCディスタフ を制したマルシュロレーヌが誕生するなど、この先もキョウエイマーチの名は残り続けていくだろう。
マルシュロレーヌがBCディスタフで見せた4角先頭からの驚異の粘り込みはキョウエイマーチの血脈だなぁと思ったよ!
アグネスフライト
1997年誕生の牡馬。
通算戦績14戦4勝 主な勝ち鞍:日本ダービー
父は大種牡馬サンデーサイレンス、母は桜花賞馬アグネスフローラ、祖母にオークス馬のアグネスレディー、弟にアグネスタキオンという超良血馬。
デビューは遅く3歳2月であったがデビュー戦を勝利。
しかし皐月賞に出るためのトライアルレースを12着と完敗すると目標を日本ダービーに。
オープン、重賞と連勝し本番の日本ダービーに出走すると皐月賞馬エアシャカールとの激しい叩き合いをハナ差7cmで勝利し親子3代クラシック制覇を達成した。
主戦騎手の河内洋騎手は17回目の挑戦にして念願のダービージョッキーに、祖母のアグネスレディー、母のアグネスフローラの主戦騎手を努めていたこと、弟弟子にあたる武豊騎手のダービー3連覇を阻止など日本ダービー史上屈指の名レースであった。
しかしその後は菊花賞、ジャパンカップと出走するが菊花賞をエアシャカールの5着、ジャパンカップをテイエムオペラオーの13着と惨敗に。
特に菊花賞以降、古馬となってからはライバルのエアシャカールと共に世代交代を図るべく上の世代に挑戦を挑むがまったくと言っていいほど歯が立たなく、エアシャカールと共に勝利をあげることができなかった。
ファンの間では「最弱世代」と揶揄されがちだけど…ダービーでのエアシャカールとの激戦は日本ダービー史上屈指の名レースと評価されているよ!
ジャングルポケット
1998年誕生の牡馬。
通算戦績13戦5勝 主な勝ち鞍:日本ダービー ジャパンカップ
デビュー戦を8頭立ての5番人気と低評価ながら後の朝日杯FSの勝ち馬メジロベイリーや東京スポーツ杯2歳ステークスの勝ち馬タガノテイオーらを退け優勝、このレースに出走した全8頭が後に勝ち上がるというハイレベルな新馬戦であった。
3戦目のラジオたんぱ杯3歳ステークス(現ホープフルステークス)では絶大な評判を得ていた外国産馬クロフネ、同じく1勝馬ながら高評価を得ていたアグネスタキオンらを相手にアグネスタキオンに次ぐ2着、3着のクロフネまでがレコードタイムで4着以下を大きく引き離すという現在にも語り継がれるレースとなった。
皐月賞ではアグネスタキオンに敗れるもアグネスタキオンはその後に故障し引退、日本ダービーではNHKマイルカップの覇者となったクロフネを負かしてダービー馬に、ウイニングランでは大歓声の観客の前で天に向かって雄叫びをあげた。
その後のジャパンカップでは世紀末覇王ことテイエムオペラオーにクビ差競り勝ち優勝、世代交代を証明した。
東京競馬場で無類の強さを発揮、とあるお笑いトリオが「東京では負けない」という思いを込めてこの馬から名前を借りたことは有名である。
騎手・馬主・調教師がフジキセキと同じで故障で引退し成し得なかった日本ダービーをこのスタッフで…というストーリーもあったんだよ!(但し途中で馬主が社台系に変更されているので登場は難しいか…)
ヒシミラクル
1999年誕生の牡馬。
通算戦績28戦6勝 主な勝ち鞍:菊花賞 天皇賞(春) 宝塚記念
2歳の夏にデビューするもなかなか勝ち上がることができずに10戦目にようやく初白星。
しかしその後はコンスタントに好走を続けると7番人気の低評価ながら菊花賞を制覇。
有馬記念、阪神大賞典、産経大阪杯(現大阪杯)は惨敗するが、天皇賞(春)、宝塚記念を7番人気、6番人気の低評価を覆してGⅠ連覇を成し遂げた。
特に宝塚記念ではGⅠ6勝馬のアグネスデジタルをはじめ2年連続年度代表馬のシンボリクリスエスにこの年のダービー馬ネオユニヴァース、他にもGⅠ馬や重賞馬が多数出走する超豪華なメンバーを抑えての勝利であった。
しかしその後は怪我を繰り返したこともあり6歳まで走ったが勝利を得ることはなかった。
無尽蔵のスタミナをもっているもののとにかくエンジンのかかりが遅い馬(ズブイと表現する)で、菊花賞の勝利騎手インタビューでは「どのタイミングで追い出したか?」との質問に角田晃一騎手は「スタート直後から追っていた」と冗談で答えるほどであった。
また優勝した宝塚記念では『ミラクルおじさん』なるものが誕生。
彼は日本ダービーでネオユニヴァースの単勝に50万円を賭けるとそれが130万円に、安田記念ではその130万円をアグネスデジタルの単勝に賭けるとそれが1222万円に、さらにその金額を宝塚記念でヒシミラクルの単勝に賭けると1222万円が1億9920万円となりワイドショーで取り上げられるなど話題となり、ヒシミラクルの鞍上の角田晃一騎手も「僕以上の勝負師だ!」と語った。
ちなみにヒシミラクルはプール調教で大半の競走馬が30秒台で泳ぐところ47秒もかかるほど泳ぎが下手っぴでした()
シンボリクリスエス
1999年誕生の牡馬。
通算戦績15戦8勝 主な勝ち鞍:天皇賞(秋) 有馬記念
皐月賞を未出走、日本ダービーを2着、その後は中距離路線に絞ると菊花賞には目もくれずに天皇賞(秋)に出走するとナリタトップロードやエアシャカールらを破って3歳で天皇賞(秋)を制覇。
次走のジャパンカップは差のない3着と敗れるが、有馬記念では無敗の3歳牝馬女王のファインモーションを筆頭に同世代から3世代上までの実力馬たちに勝利し、世代交代を言い渡すとともに競馬界の主役に躍り出た。
翌年は宝塚記念を5着と人気に答えられなかったが天皇賞(秋)ではレコードタイムで優勝、史上初の天皇賞(秋)連覇を達成した。
次走のジャパンカップではライバルのタップダンスシチーの大逃げに為す術がなく3着。
引退レースの有馬記念に向けて、普段は緩めの調教で有名な藤沢調教師がかなり強い調教を行い、結果有馬記念史上最大の9馬身差の圧勝で有終の美を飾った。
シンボリクリスエス世代は前後の世代を含め、競馬人気に陰りが見えてきていたこともありシンボリクリスエスを含めやや地味な印象が残る。
しかし引退レースでの圧倒的なパフォーマンスをはじめ1部のファンの間では最強馬論争に名が上がるほどの実力の持ち主であった。
主戦騎手の1人であった世界的名騎手のオリビエ・ペリエ騎手をもって「自分が乗った馬の中ではパントレセレブル(凱旋門賞馬、90年代の欧州最強馬候補の1頭)に匹敵するベストホースだ」と絶賛した。
シンボリクリスエスは2020年に亡くなっちゃったんだけど、最近は母の父としての活躍が目立っているから注目してみると面白いかもね!
ワンチャンあるか!?単穴▲個性派ぞろいの8頭の競走馬!
実力はもちろん、個性が光る競走馬たちが登場だあぁぁぁ!
シンザン
1961年誕生の牡馬。
通算戦績19戦15勝 主な勝ち鞍:クラシック3冠 天皇賞(秋) 有馬記念
日本競馬史上2頭目、戦後初の3冠馬。
19戦15勝、2着4回と連対率は100%で連対数19は現在でも日本記録である。
前脚と後脚がぶつかるほどのパワフルな身体能力に『ナタの切れ味』と評された分厚くもカミソリの様にキレる末脚、計ったようにゴール前で交わすレース運びでゴール後はすぐに走るのをやめるほど無駄なことをしない非常に賢い馬であった。
当時の牡馬が獲得できるGⅠ級のレースを全て制するなどの偉大な実績からシンザン引退後は『シンザンを超えろ』が競馬関係者のスローガンとなっていた。
競走成績のみならず種牡馬としての成績も優秀で、当時は太刀打ちできないほどレベル差のあった外国産種牡馬に1流の牝馬は取られてしまったがそれでも重賞馬を次々と誕生させた。
代表産駒には皐月賞・菊花賞の2冠に加えて天皇賞(春)を制したミホシンザンがいるが父系としてのシンザンの血は潰えた。
しかし2013年に牝馬GⅠ3勝をあげたメイショウマンボの母方の血を辿っていくとシンザンの名前が出てくるなど牝系として多くはないものの現存しているのでなんとか残って欲しいところだ。
またシンザンは非常に長生きをした馬としても有名で、35歳102日という日本最長寿記録を持っていた。
競走成績だけでいうならシンザンの戦績や実力を超えた競走馬はいるかもしれない、しかしシンザンが残した血や最長寿記録なども含め、『シンザンを超えろ』を合言葉に日本競馬の目標にしてきたからこそ現存する日本競馬の実力や歴史などを考えると未だ『シンザンを超えた』競走馬は現れていないと断言したい。
さすがに古すぎてダメかな…でも駿川たづなの元ネタとも言われているトキノミノルはシンザンより10歳以上年上だし何かしらの形で登場してもおかしくないよね!?
タケシバオー
1965年誕生の牡馬。
通算戦績29戦16勝(国内27戦16勝 海外2戦0勝) 主な勝ち鞍:天皇賞(春)
芝ダート問わずどころか3200mの天皇賞(春)を制覇後に1200mのスプリンターズステークスをレコード勝利、また65kgの斤量を背負いながら不良馬場でも勝利を収めるなどどんな競争条件であれ勝利してきたことから歴代最強馬との呼び声が高い。
3歳時には菊花賞出走を蹴ってまで米国競馬の招待に応えて渡米、翌年にも同じレースに出走するも2年連続の最下位と海外輸送の難しさや海外勢とのレベル差を見せ付けられる結果になるも国内戦では3着以内を外したことがないという強さを見せた。
クラシック戦線ではライバルのマーチス・アサカオーと共に「元祖3強」を結成、当時裏付けのない血統であったタケシバオーがマーチス・アサカオーといった良血馬を次々に破っていくことから『野武士』と称された。
アグネスデジタルは「タケシバオーの再来」なんて言われたりもしたけど、ちょっと格が違いすぎるよね…
ハイセイコー
1970年誕生の牡馬。
通算戦績22戦13勝(地方6戦6勝 中央16戦7勝) 主な勝ち鞍:皐月賞
地方競馬でデビューし重賞を含めて6連勝を携えて中央競馬に移籍、その後も連勝を重ねて皐月賞を制覇した。
この勝利は様々なメディアに取り上げられたことで世間に爆発的な人気となり、「競馬はわからないけどハイセイコーを見に来た」と客が競馬場に詰めかけるなど、ギャンブル要素が強かった日本競馬に健全なレジャーとして認知されるきっかけとなる競馬ブームを作った。
その後は終生のライバルであるタケホープや距離の壁に当たり、当時主流であった中長距離の大レースを制することはできず勝ちきれないレースが多かったが、オイルショックの影響などで国内が意気消沈する中それでも諦めずに走り続ける姿に人々は励まされたのであろう、人気が衰えることはなかった。
ハイセイコーの引退に合わせて作られ、主戦騎手の増沢末夫騎手が歌った「さらばハイセイコー」が50万枚以上のヒット曲になり、引退レースでは2着にも関わらずテレビカメラはハイセイコーを追い続け競馬場内にも「さらばハイセイコー」が流れるなど、当時の人気が伺い知れるエピソードが数多く存在している。
ウマ娘がレース勝利後に行うウイニングライブ、その元ネタが「さらばハイセイコー」ではないかと推測するウマ娘トレーナーがいるけど真実はどうなんだろう…(笑)
トウショウボーイ
1973年誕生の牡馬
通算戦績15戦10勝 主な勝ち鞍:皐月賞 有馬記念
当時考えられる最高に近い良血馬であり幼駒でありながら関係者に「クラシックの1つや2つは堅い」と期待されたトウショウボーイ。
その期待に応える形でデビュー戦を勝利すると連勝を重ね、東の大将格として皐月賞へ。
西の大将格のテンポイントとの「TT対決」を制して皐月賞馬になる。
日本ダービーでは伏兵のクライムカイザーに、菊花賞ではデビュー戦で負かしたグリーングラスに敗れるも年末の有馬記念ではライバルのテンポイントをはじめ天皇賞馬が3頭も出走する豪華メンバーであったがレコードタイムを叩き出し優勝した。
翌年も宝塚記念をテンポイントを下して優勝、マイルのオープン戦では当時としては驚異の1分33秒6というレコードタイムを叩き出した。
天皇賞(秋)では距離の壁(当時は3200mだった)に不利な展開などもあり7着と大敗。
引退レースとなった有馬記念ではライバルのテンポイントとのマッチレースを思わせるほどスタート直後から競い合い、最後の直線では抜きつ抜かれつの攻防を後ろからもう1頭のライバルのグリーングラスが迫ってくるという歴史の残る名勝負を繰り広げたものの2着に終わった。
トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラスの3頭は『TTG』と呼ばれ、3頭が出走したときは上位を独占、3頭共に有馬記念を制覇するなど『TTG』を含めこの世代こそが競馬史上最強世代との声も高い。
ストライドが大きく、首を伸ばし常に頭を低く下げて走るフォームは見るものにスピード感こそ感じさせられない走りであったが、マイル~中距離戦で見せた圧倒的なスピード能力は「空を飛んでいるようだ」を喩えられ『天馬』と評された。
種牡馬としては2年目に3冠馬ミスターシービーを輩出。
その後もコンスタントに重賞馬を送り出し、種付け料の安さかや勝ち上がり率からも生産者から『お助けボーイ』と崇められた。
引退レースとなった77年有馬記念は最終的に出走回避したけど1つ下の怪物マルゼンスキーも出走予定でした…もし出走してたらどんなレースになったんだろう…
テンポイント
1973年誕生の牡馬。
通算戦績18戦11勝 主な勝ち鞍:天皇賞(春) 有馬記念
デビュー戦を10馬身圧勝、その後も関西の2歳No.1決定戦の阪神3歳ステークス(旧表記、現阪神ジュベナイルフィリーズ)も圧倒的1番人気に応え圧勝。
当時は東高西低であった競馬界に現れたテンポイントは関西のファンの圧倒的な支持を受けクラシック戦線に乗り込んだ。
しかし待ち構えていた東のエースであるトウショウボーイとの初対決、皐月賞では5馬身ちぎられる屈辱。
リベンジで臨んだ日本ダービーでも調子を落とし、レース中に軽い骨折を発症していたこともあり7着に敗れた。
菊花賞ではトウショウボーイをぴったりとマークし最後の直線でトウショウボーイを交わして先頭に立つも内ラチをスルスルと伸びたグリーングラスに交わされ2着。
暮れの有馬記念でもトウショウボーイに完敗し、3歳戦は大きなレースに勝てなかった。
しかし翌年は前哨戦を2連勝し、勢いそのままに天皇賞(春)を制覇。
宝塚記念ではまたもトウショウボーイに敗れるも秋に本格化を迎えると63kgの斤量を背負った京都大賞典を8馬身差の圧勝。
翌年の海外遠征に向け、またこの歳で引退を発表したトウショウボーイとの最後の対決となった有馬記念ではスタート直後から2頭のマッチレースを思わせるほど他馬を置き去りにするレース運び。
最後の直線では抜きつ抜かれつの死闘をさらに外からグリーングラスが迫るという歴史に残る名勝負を制し、はじめてトウショウボーイから1着を奪うとともに引導を渡した。
翌年は海外遠征を発表、イギリスに向けて出発を予定していたが関西のファンの「海外に行く前にもう1度テンポイントの姿を見たい」という要望に応える形で66.5kgという過酷な斤量を背負って日経新春杯に出走。
しかし4コーナーに差し掛かったところで骨折、折れた骨が皮膚を突き破り鮮血が噴出するほどであった。
日本中央競馬会の獣医師はすぐさまに予後不良と診断、しかし故障直後から「テンポイントをなんとかしてくれ」という助命を嘆願する電話が電話回線をパンク寸前にするほど寄せられたこともあり馬主と日本中央競馬会は成功確率を数%としながらも33名の獣医師団を結成し手術に臨んだ。
手術は成功したかに見られていたが固定したボルトが体重で曲がってしまったことにより折れた骨が曲がったままギブスで固定されてしまっていた。
そのことにより患部が腐敗し骨が露出、かばっていた反対の脚は蹄葉炎を発症、食欲は減退し痩せ細るなど症状は悪化する一方であった。
医師団は治療を断念、故障発生から42日後に息を引き取った。
500kgあった雄大な馬体は死亡時には300kgを切ると推測されるほど痩せていた。
テンポイントの死は日本の競馬界に様々な問題を提起した。
特に66.5kgものハンデに関しては多くの批判が集まり、過度の斤量を課す風潮は改められることになった。
安楽死の是非についても競馬関係者のみならず、ファンも深く考えさせられるものであった。
またテンポイントの治療に関しては、経験と知識が後の競馬医療に大きな影響を与えることになり、ライバルのトウショウボーイの孫にあたるヤマニングローバルが脚にボルトを入れたまま現役を全うしたなど、助からなかったはずの競走馬がターフに戻れる症例も増えた。
500kgの雄大にして均整の取れた馬体、キラキラと輝く黄金色の栗毛、額から真っ直ぐに伸びた綺麗な流星から『流星の貴公子』と呼ばれたテンポイント、ライバルたちとしのぎを削った競走生活と悲運の死は現代日本競馬でも語り継がれ、また日本競馬界を大きく発展させた後世に語るべき競走馬である。
悲しい出来事だったけどテンポイントがいたからこそ、日本の競馬は大きく発展したと言えると思う…
サクラスターオー
1984年誕生の牡馬。
通算戦績7戦4勝 主な勝ち鞍:皐月賞 菊花賞
生後2ヶ月、母が放牧中に倒れ牧場スタッフが駆けつける間懸命に母の体を起こそうとするが甲斐無く母が死亡。
その後は『スターロツチ(読み方はスターロッチ、孫以降の世代が活躍しスターロッチ系と呼ばれる系統を確立)』が乳母として、牧場長の藤原氏がミルクを与えて育てた。
皐月賞の前哨戦、弥生賞を6番人気ながら鋭い末脚を見せ勝利し一躍皐月賞の有力馬となった。
勢いそのままに皐月賞も制覇、皐月賞直前に牧場長だった藤原氏が亡くなっていたこともあり亡き育ての親へ捧げるクラシック制覇となった。
表彰式ではシンボリルドルフの岡部騎手を真似て1本指を立てて「1冠目」をアピールするも直後に故障が判明し日本ダービーの出走は断念せざるを得なかった。
故障がなかなか癒えず、菊花賞本番の1週間前に各関係者から出走への許可が降りるほどギリギリの状態であったが9番人気ながら菊花賞を制覇。
杉本清アナウンサーの「菊の季節に桜が満開!菊の季節に桜!サクラスターオーです!!」の名フレーズとともに復活を予感させた。
菊花賞を無理して出走したこともあり翌年に備えて休養の予定であったが有馬記念のファン投票で1位を獲得、JRAからも熱心な依頼があったこともあり出走。
しかしレースの終盤、勝負どころの最終コーナーで「左前脚繋靱帯断裂・第一指関節脱臼」を発症し競走中止。
予後不良と診断される大怪我であったがファンからの助命嘆願、またオーナーの嘆願もあり闘病生活に入る。
翌年にテンポイント同様に脚にボルトを埋め込む手術が行われるが症状は改善せず、馬体はどんどん衰弱、立ち上がそうとした際に他の脚を脱臼し立ち上がることができなくなり安楽死の処置がとられた。
サクラスターオーが亡くなった1988年の日本ダービー、抜け出しかけたメジロアルダンを奇跡の差し替えしで勝利したサクラチヨノオー、あれは亡きスターオーの後押しもあったんじゃないかな…
トロットサンダー
1989年誕生の牡馬。
通算戦績22戦15勝 主な勝ち鞍:マイルチャンピオンシップ 安田記念
育成牧場時代に大怪我を負いデビューが遅れたものの、浦和競馬場でデビューすると8戦7勝の抜群の成績をあげる。
しかしその後骨折、競走能力喪失が疑われるほどの重症を負うが1年以上の療養の結果レースに復帰、復帰戦を勝利で飾ると中央競馬に移籍をした。
移籍後も順調に勝利を重ねるものの重賞ではなかなか結果を残せずにいたがマイルチャンピオンシップに出走。
マイル戦負け無しを評価され4番人気に支持されるとスタートで出遅れたものの最終直線で強烈な末脚でヒシアケボノ、ビコーペガサスといった快速スプリンターたちやジャパンカップを制したレガシーワールド、マーベラスクラウンらを斬り捨て重賞&GⅠ初制覇を成し遂げた。
翌年には安田記念に出走。
メンバー17頭中重賞勝ち馬が13頭、さらにGⅠ勝ち馬が8頭という超豪華メンバーを相手に中段やや後方からの競馬。
最終コーナーを回ると一瞬行き場を無くすが進路を確保すると抜群の瞬発力を見せ、坂を登り終えるとさらに加速、まさに稲妻のごとき末脚を披露するとゴール板ではキッチリとハナ差差し切り統一マイル王となった。
毎日王冠から天皇賞(秋)へと向かい引退するという道筋が発表されるがその直後に骨折が判明。
さらに馬主の不祥事(名義貸し事件)が発覚し引退に追い込まれる形となった。
マイル戦は8戦負けなし、名前通りの稲妻のような末脚から『雷帝』と呼ばれているよ!
メイセイオペラ
1994年誕生の牡馬。
通算戦績35戦23勝 主な勝ち鞍:マイルチャンピオンシップ南部杯 フェブラリーステークス 帝王賞
3歳時に頭蓋骨骨折の重症、4歳からは最大のライバル「南関東の哲学者」こと『アブクマポーロ』との激闘、5歳時には日本競馬史上唯一、地方競馬所属にして中央のGⅠ制覇を成し遂げた岩手の怪物。
その偉業と栗毛の馬体、「JRAの本気」と揶揄されるCMのキャッチフレーズから『栗毛の来訪者』の異名がついている。
中央競馬と地方競馬ではレベルが段違いで中央勢が地方競馬を荒らし回るような事態が起こることもあるが、地方の強豪馬が中央勢を押し返すような年や地方から名馬が誕生することもあり、地方の競走馬からウマ娘化されることも期待している。
メイセイオペラのライバル『アブクマポーロ』をはじめ、ジャパンカップでシンボリルドルフの2着に入った『ロッキータイガー』、メイセイオペラの先輩で元祖岩手の怪物『トウケイニセイ』、交流元年のフィリーズレビューで実況が絶句してしまう豪脚を見せ中央勢をブッコ抜いた『ライデンリーダー』、中央勢が地方競馬で暴れまわる時代の中央のダート絶対王者カネヒキリを完封した『アジュディミツオー』、アジュディミツオーが引退後に南関東のエースの座を守った『フリオーソ』、牡馬クラシック路線を大いに湧かせ、地方競馬所属馬&地方競馬所属騎手による初めての海外GⅠ制覇を成し遂げた『コスモバルク』など、挙げればキリがないほど地方競馬にも名馬がたくさんいるので興味を持っていただいたなら調べて見て欲しい。
ウマ娘に登場するオグリキャップやイナリワンなどは地方出身の競走馬、地方競馬だからって侮れないんです!
まとめ 私の予想の信頼度はいかほど…?
記事作成にあたって思い当たる競走馬名のメモ書きを用意していたのですが、簡単な解説を付け加えて記事にしているうちにとんでもない文字数になってきました。(笑)
個人的には狂気の逃げ馬『カブラヤオー』に桜花賞大差勝ちの『テスコガビー』、日本勢初のジャパンカップ制覇の『カツラギエース』やサイレンススズカよりも速かったんじゃないかと思っている『ネーハイシーザー』にGⅠじゃイマイチだけどGⅡになるとめっちゃ強いGⅡ大将こと『バランスオブゲーム』なども取り上げたかったんだが…
競馬に詳しいトレーナーのみなさんは私の予想にどのような評価をつけてくれるのでしょうか?
また「この競走馬こそウマ娘化されるべきだ!」みたいなみなさんの予想も知りたいです!
魅力的な競走馬が多すぎて絞れない…(笑)
アニメ『ウマ娘プリティーダービー』は下記の動画サービスで視聴できるよ!
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